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ウンドゥエス・デ・レルダ⇒サングエサ(Sangüesa)。約11㎞。
収穫された小麦の麦わらを束ねたものと思われる。牛の餌になるのだろうか。古代遺跡のように見える。(写真1) (写真1) アラゴン川を渡り、サングエサに着いた。アラゴン州からナバラ(Navarra)の地方に入った。ここからまたバスクの地が始まるらしい。街に入るとすぐ、バスク語で授業を行なう学校があった。入ったスーパー・マーケットで、女店員同士が、明らかにスペイン語ではない言葉で会話していた。またあの異貌の建築に会えるかと思うとわくわくする。 街並みは整然としていた(写真2)。ところが、どういう訳か息の詰まるような閉塞感に覆われているような気がしてならない。オロロンのあの奔放、自由がまったく伺えない。そこだけにほとんどの創意と熱意が注がれたような軒裏の過剰な装飾(写真3)が目に付く。オーストリアの画家H.R.ギガーがデザインを担当した映画『エイリアン』を彷彿とさせるようなものもある(写真4)。だが建築そのものは、軒並み陳腐な定型を墨守しようとしているだけで、僅かな破調を感じさせるものさえない。オロロンにはそもそもそのような定型というものがなかったように思う。オロロンとこのサングエサが同じ民族的特性をもって造られた街だとはとても思えない。期待が大きかった分、失望を越えて腹立たしささえ覚え、閉塞感も相俟って気分まで悪くなってきた。 (写真2) (写真3) (写真4) もっと解せなかったのは、これはハカでも感じたことなのだが、形式というものが最も重視されるべきはずの教会が、少なくとも外観上はそれを持っていないように感じたということだ。開放された一種のこけおどし的ドーム状の空間(写真5)によるエントランスと、変哲もない矩形の塔が目立つだけで、本体の姿はそれらの間に完全に没している。それがこの地の教会の形式だと言われればそれまでなのだが。 (写真5) 月曜日の午前中だというのにミサが行なわれようとしている教会(写真6)があり、人々に紛れて入ろうとした。ひとりの老人が、カメラを下げた私を見て、中をちゃんと見ろというような仕草をした。礼拝堂に入って、右に行けというような指示をしている。分からないままに進んで右手を見てもドアがあるだけだった。ミサが始まっていたので開けるのをためらっていると、椅子に腰掛けた別の老人が開けてみろというようなジェスチャーをした。 (写真6) それまでの閉塞感が一気に開放されるようなゴシック様式による回廊式の中庭(写真7、8)が広がっていた。きっと彼ら自身も、この街では類のない特別な空間であることを認識しているのだろう。 (写真7) (写真8) これも閉まっていた別のゴシック式教会のエントランスに刻まれた彫刻が、なんとなく法隆寺の百済観音像を想わせる姿形(写真9)だったことが、この街を覆う閉塞感を抜け出るもう一つの回路のように思えた。 (写真9) アルベルゲに先客はいなかった。今夜はひとりで気が楽だと思っていると、6時ごろ、ひと組の男女が現れた。日本語を喋った。ハカの街でも出会っていた覚えがある。むこうもこちらのことを覚えていて、それで何となく気分がほぐれた。ちょうどスパゲティをゆでようとしていたところで、ひとりでは量が多すぎるので一緒にどうかとすすめた。二人も別の食料を買い出しに行き、共同で炊事を始めた。電熱式のコンロを3つ使い始めたところでブレーカーが落ちた。それでも点灯している照明器具があり、男性の方がそれは非常照明だといった。そんな言葉が出るのは同業者以外に考えられない。案の定、愛知県の某市で設計事務所を営むどちらも38歳の建築家夫婦だった。 結局、深夜2時ごろまで私たちは話し込んだ。今回は一ヶ月半、事務所を閉じて建築の見学がてらこの巡礼路を歩きに来たと二人は話した。以前にも事務所を一年間休んで世界各地の建築を見学して回ったことがあるという。まったく何の準備も予備知識もなく飛び込むようにして来た私と違って、二人は入念な準備をしていた。スペイン、特にスペイン人の気質が気に入っているようで、私がフランス人とスペイン人から受けた印象の落差のことを話すと、とても腑に落ちないというような反応を示した。とても興味深い建築を私がいくつも見逃していたことを知って呆れもしていた。
by santiargon
| 2007-10-22 02:49
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